平壌宣言破棄原理主義者?



 とあるブログで読んだのですが、拉致被害者全員奪還の為に一生懸命だったが、奪還以上に平壌宣言破棄が目的になってしまった人がいるそうです。拉致被害者奪還という目的の私とは相容れないですね。
 
 …という事実を突きつけても話は進まないので、平壌宣言破棄原理主義者は私のことを指していると考えて話を進めましょう。
 
 私は日朝平壌宣言破棄はあくまで拉致被害者全員を取り戻すための入口に過ぎないと考えています。拙ブログにて書いた通りです。
 
~個人的に考える拉致被害者全員奪還の具体案~
 
 ただ破棄しただけではすぐに同じ、もしくはもっと悪化した内容で再締結を促されてしまう恐れがあります。なにより今の総理大臣は従米の安倍総理です。平壌宣言破棄から拉致被害者全員奪還までの間にしなければいけないことは山ほどあります。
 平壌宣言破棄はまだ至ってもいない入口です。140文字のTwitterでそればかりのつぶやきになるのは致し方ないことなのですが。。。
 
 件のブログは、「"平壌宣言破棄"をカードとして持つ事は否定はしません」「飴も鞭も現状ある物は全てカードとして利用」というわりには、「平壌宣言破棄は愚かな行為」として利用する気はありません。理由として「破棄をするなら遺骨の偽装時やミサイル再開発時にすべきであり日朝会談目前の今に宣言を破棄をしても何もならない」ということを挙げていますが、彼は北朝鮮が核実験やミサイル発射をやり続けている数年前から今に至るまで「日朝平壌宣言破棄は言ってはならない」と周辺を説得し続けているので、それは事実ではありません。
 また、
「被害者家族のみなさんが少しの光明の中でも、希望を持ち続け闘っている」
「焦って前のめりに成り過ぎず~~粘り強く行う事が大切」
 
 との認識のようですが、2002年・小泉訪朝時に数人の拉致被害者が帰ってきてからご家族が持ち続けてきた希望が、16年経った今までなんの進展も無かったわけです。その年月だけ歳を取り、ご家族によっては結論を待つ時間も残りわずかです。
 被害者家族にも「焦るな」「粘り強く行うことが大切」と言えますか?
 
 「焦るな」「粘り強く行うことが大切」という言葉を全否定はしませんが、何かしら光明や狙いがあるときならともかく、日本政府が具体的な打開策を打とうとしていない現状は、落ち着いている場合ではないと思います。分かりやすい例でいえば、日本政府は朝鮮総連に対して解体も破産もせず、手を打つ様子は見られません。国民が大人しくしている間は、波風を立てないように不作為を決め込むのが、昔からの日本政府だということを忘れてはなりません。
 
 あなたならどう感じますか?本当に大切な物は何なのでしょうか?コンサート?仲間と飲み食いするお酒や焼き鳥?それとも仲間と共に流す感動の涙でしょうか?
 私は拉致問題を動かすための国民運動として娯楽や共感を否定しませんが、それが主目的で良いとは思っていません。
 
 私はこの国の未来の為にも日本人としてもこの問題の早期解決を望みますが、刻々と現実が迫るにも関わらずのんびりと正義運動に興じる事が大切だとは思ってはおりません(我が国には外交の後ろ立てとなる軍事オプションがないのですから。だからこそ、日米安保を基軸とした外交政策の延長線上で、米国の命令で行われる拉致処分を危惧しなければならない)
 
 
「焦って前のめりに成り過ぎず、交渉はあらゆるカードを使いこちら側の優位性を保ちながら粘り強く行う事が大切」
 
 言葉だけは綺麗です。が、優位性あったんですか?優位性って何を指しているのでしょう?優位性があるならなぜ今まで進展がなかったのですか?